Jun 24, 2014

角田晃嗣さんのお話

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桐生市本町6丁目、織物の町として栄えた桐生の中心市街地、桐生市本町6丁目に角田邸はありました。

かつて染色業が営まれたこの家では、多くの職人さんが働きながら、生活を共にし、日々の賑やかな暮らしの声が聞こえたといいます。

このたび、住み慣れた思い入れのあるお家を、「アンカーPLUS」プロジェクトのために提供することを決断された、角田家のご主人・角田晃嗣さんに、思いをお聞きしました。

「桐生市本町6丁目」の我が家

私が生まれたこの家は、古くから染物業を営んでいて、物心ついたころから大勢の職人さんたちと一緒に暮らしていました。

遠くから出稼ぎにきた若い職人さんたちにとって、私は故郷に暮らす幼い兄弟を思い出させる存在でもあったのでしょうか。「坊ちゃん」といって可愛がってもらってね。夕方、学校から帰ってくると、仕事の手を休めて話を聞いてくれたり、遊び相手になってくれたものです。

当時は、食事のたびに、10人以上で大きな食卓を囲んで、それでも1回では終わらずに3回転くらいしていました。食卓のおかずは、季節の野菜の煮物や漬物が中心。今と比べれば大変質素なものでした。染物屋の仕事は厳しいものでしたし、暮らしは贅沢なものではなかったけれど、この場所にあった‘人と人とのつながり’は今よりも豊かだったように思います。

この家には常にたくさんの人がいて賑やかでした。人間関係に濃淡はもちろんありましたが、誰もがかけがえのない存在であるとの認識が、ゆるぎないものとしてあって、その上に日々が成り立っていた。そんな中、戦争で徴兵のために、若い職人さんが一人、また一人と、この家を去っていったときのことは、いまでも深く印象に残っています。

この家を往来する大人たちを見ていて、一期一会ということを子供なりに身にしみて感じていました。そして、この時代に私の中に蓄積した「ひとに対する信頼感」が、現在の私の原点になっています。

6.24 角田さんに聞く

「人を幸せにする仕事」

高校を卒業後は、学習院大学に進学しました。大学のサークルで英会話と心理学を学んだことが、のちに輸入雑貨店を開業するきっかけの一つになりました。

今でこそ、「角田さんは社交的で、人脈があって・・・」と言われますが、最初からそうだったわけではありません。

大学入学当時、私は坊主頭に制服姿で通学していたのですが、周りからは少し浮いた存在に見えたのでしょうか、まったく誰からも話しかけられませんでした。これではいかんと、本屋で心理学の本を買い、読み漁って、今でいうところの‘セルフプロデュース’をしたのです。そのうちに友達がひとり、ふたりと出来、アドバイスをくれるひとが現れたりして、徐々に人との関係性を作れるようになりました。

昭和57年にこの地で開業した「ハッピーメイク」は輸入菓子と雑貨のお店です。屋号にはI make you happy(私はあなたを幸せにする)との思いを込めました。当時このあたりではめずらしかった、アメリカやヨーロッパのお菓子が学生や若い女性たちに人気で、バレンタインの時期には300種類くらいのチョコレートを取り扱い、大変な賑わいでしたよ。

商品のほかにお店で人気を博したのが、「おしゃべりサロン」です。大学時代に身につけた心理学の知識を活かして、若い人たちの恋や進路についての悩みを聞いて、相談にのったり励ましたりしていました。希望者が多いときには行列が出来るほどで、全部で6000人くらいの相談にのったかな。親や学校の先生、友達には言えないことでも、ここなら話せる。そういう存在だったのだと思います。

家族や毎日会う友達との関係はもちろん大事ですが、それだけでは息が詰まるのが人間というものでしょう。生活のなかにいろんな場面があって、様々な人と接することで、気持ちを切り替えて前を向けるのだと思います。

「人と人が織りなすストーリーを、この場所から」

15年間営業した「ハッピーメイク」を閉めたあとは、「桐生市本町六丁目商店街振興組合」の活動を通じてまちづくりに専念してきました。いま、私はオフィス・エアカレント代表、「街びとコーディネーター」として活動しています。

桐生は歴史的にみて絶対的な権力者に支配された経験がない街なんですね。江戸時代は徳川幕府直轄領で、江戸から来た代官と地元採用の役人が治めていたのです。そんな背景もあってでしょう、桐生人の気質というのは、自由で、世話好きで、よそ者にも優しいというのが特徴だと私は思っています。そんな桐生人らしく、私もこの街で人と人を結びつける「世話役」をしています。

「エアカレント」は「気流」。「桐生」にもかけています。人が動くと気の流れができます。桐生のまちに、よい気流を、との思いを常に持っています。

6.24 角田さんに聞く 時代とともに人々の消費行動が変わり、桐生を取り巻く環境も変わりました。これまで、まちづくりに取り組んできて、改めて思うことは、まちに大切な要素は、まず住む場所があること。それと同時に働く場所があること。そして、その二つだけではまちの機能としては十分ではなくて、人と人を結ぶ場があることが必要だと思っています。

私は、築50年、敷地600坪のこの家を、桐生のまちのために活かす方法がないか、ずっと模索してきました。そして、今回、これまで一緒にまちづくりに取り組んできたアンカーの川口さんから「アンカーPLUS」のご提案を受けた時、これはこのまちのために必要なものだと感じました。思えば、川口さんとの出会いも、このまちで結ばれたご縁であり、このご縁がまた新たなつながりを紡ぎだし、広がっていくことに、可能性を感じます。

人と人が結ばれるこの場所から、新しい気流が生まれて、それぞれの暮らしのなかに心地良い時間が流れる日々を、心待ちにしています。5.30 角田ご夫妻


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